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Journal #70
Woman and Pearl _1

しばしば、真珠の美しさと女性は切っても切れない関係だと感じ入ることがあります。

絹のようにしなやかな——

今回出会った真珠におくりたい言葉はそのまま、「こうでありたい」女性像と重なるようなもの。奇しくもその背景を辿っていくと、昔の人たちも真珠を愛するひとに重ねて歌に詠んできたことを知り、ますます真珠に心惹かれるのです。

私たちは昨年の冬、縁あって琵琶湖の真珠に出会いました。琵琶湖の真珠をとりまく様々なことを教えてくれたのは「神保真珠商店」を営む杉山知子さん。同店は1966年の創業から長年琵琶湖の真珠を専門に商いをし、3代にわたり顧客と生産者の間で琵琶湖の真珠を見つめてきました。

そもそも「琵琶湖で真珠?」とお思いの方も多いことでしょう。実は琵琶湖にはイケチョウガイという固有の真珠貝(※真珠を生み出す貝)が生息していたことにより、真珠養殖が盛んに行われてきたという歴史があります。養殖現場はさながら女性たちの舞台。生き物と向き合う仕事に求められる繊細さに、その感性は活きてきます。(写真提供:神保真珠商店)

昭和初期に始まった琵琶湖の真珠養殖は1970年代に最盛期を迎えました。しかし80年代になると水質汚染や外来種の影響によるイケチョウガイの生育不良、中国産の安価な淡水真珠が大量に流通したことを原因に急な下り坂を進むことになります。

かつて琵琶湖の真珠の輝きは、紀元前よりペルシャ湾で採れていた真珠によく似ていたそうです。その美しさに惚れ込んだインドやレバノンのバイヤーにより、生まれた真珠のほとんどは海を渡ってヨーロッパ、アメリカへ。海外では"biwa"と呼ばれるほど琵琶湖の真珠が愛された一方、先述の環境変化によりイケチョウガイは一時ほぼ絶滅。貝と真珠が姿を消してしまったこともあって、国内はおろか滋賀に暮らす人々さえその存在を知らぬまま——
古くは万葉集に"あふみのしらたま(=近江の真珠)"と詠まれるなどして、琵琶湖の真珠が人々の知るところだったことを思うと、少し寂しいことです。

しかし琵琶湖の真珠は、このまま歴史の幕を下ろしたわけではありません。
産業が落ち込んだ時期にも、琵琶湖ではわずかに養殖が続けられました。水質改善や貝の研究も進められ、やがて品種改良を行った貝が新たな珠を産んだのです。昔とは姿を変えながらも、琵琶湖と琵琶湖の真珠は少しずつ息を吹き返しつつあります。
ピンクやオレンジ、パープルの淡い色彩は、現在の貝が生み出す色。見せてもらった真珠が年を追うごとに綺麗になっていることから、そこには自然の底力と養殖家の情熱があると知りました。

神保真珠商店には30年以上前の真珠も残されています。当時の姿で大事に保管されている、いっそう柔らかな白珠です。この美しさは万葉の世、さらに古代オリエント以前へと遡り、国や時代を超えて人々の記憶が繋いできたもの。その面影に出会えるなんて、とても感動的なことです。嬉しいことに、その希少なものをいくつか譲り受けることになりました。

琵琶湖の真珠たちは昔も今も、光を抱くように穏やかな輝きをたたえています。それは照りの強く潤みがあるアコヤ真珠ともまた異なる、静の美といったところでしょうか。

真珠を身に着けることが、ふだんのお化粧のようなものになるといいなと思います。着飾るではなくあくまで自然に、その人のもつ品を引き出してくれるような。あるいは、すっぴんではなく身だしなみのエチケットのような存在として。真珠をさらりと身に着けられる女性に、ずっと憧れをもっています。

この日の最後、杉山さんから「もう少し暖かくなった頃に」と、養殖場へのお誘いを頂きました。こうして私たちは4月のはじめに、再び琵琶湖を訪れることになります。(つづく)

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